昭和38年~39年頃だと思いますが、碑の反対側のマンホールでの工事で、マンホールの上・下に作業者が1台づつ置かれ、マンホール上に3名程、中にも作業の方がいたかと思いますが、私がそこを通過しようとした時に八王子方面より、鋼材を積んだトラックが接近してくるのを見て、危険を感じ、作業中のところに入ったところ、トラックは上の作業者に接触し、その衝撃で作業者が動き、作業中の方に乗り上げた形になり、死傷者がでた訳です。私はその方々のお陰で半身打撲で助かりました。新しい交換局ができたときに亡くなられた方の鎮魂と交通安全を願っての碑の建立だと思います。当時はまだ歩道もなく、バイパス道路もなく今より交通量の多い16号でした。

並木吉千代(旧姓:浪川)